– 種子さんは「種子にんにく農園」の6代目ですが、元々跡を継ぐ予定だったのでしょうか。
元々は法律職に就く予定で東京で勉強をしていました。ところが、両親から赤字続きのため廃業するとの連絡があり、葛藤の末、24歳の時に就農しました。就農時は、当農園の経営状態が悪く、「利益になりにくい作物」「JAや青果市場等への全量委託販売」という問題がありました。元々、枝豆やトマトなども栽培していましたが、経営効率を考えると単一化した方がいいんです。単一化すると値崩れした時のリスクなどはありますが、そこも独自の販売経路を確保することである程度はコントロールができます。
– 青果市場等への出荷は多くの農家さんが行っていると思いますが、そこも赤字の要因だったんですね。
青果市場等へ出荷すると売上の20~30%が手数料として引かれるので、そこも大きな負担になります。就農した当時は、国産の野菜が品目を選ばず全て安く、中国産など外国産のにんにくが格安で出回ってました。国産もそれに合わせて販売価格が下がり、さらに手数料まで取られるので収益は大きく下がります。青果市場等への出荷は楽ですが、利益を考えると既存のJAや青果市場流通に加え、独自の販売ルートを構築するのがベターだと考えました。最初は大変ですが、今は我慢してでも直販に力を入れた方が将来的に見てもいいと思います。
– 独自の販売ルートはどのようにして確保されたのでしょうか。
私は営業経験もなく、積極的に営業活動をしたいわけでもないので、製品のPRや信用度を上げるために、まずホームページを立ち上げました。当時は独学でHTMLを学んで、FC2で無料ホームページを作成していました。良い商品を作り、信頼できる生産者だとPRできれば、自ずと顧客は増えていくと思っていました。基本的にホームページは「とっかかり」で、連絡があれば直接飲食店など顧客のもとに足を運ぶといったアナログ的なやり方で、信頼関係を構築していきました。そうやってどんどん販売ルートを増やしていったんです。
また、国産にんにくの価格に影響する大きな事件がありました。2008年頃の「毒入り餃子事件」(※1)って覚えていますか?あの事件の影響で中国産はヤバイとなり、国産の需要が伸び価格も高騰しました。それが追い風になりましたね。
(※1)中国製の冷凍ギョーザを食べた10人が中毒症状を起こした事件。有機リン系殺虫剤メタミドホスが検出。