凡人は模倣し、天才は盗む
パブロ・ピカソ

ネットサーフィンをしていると、すごく分かりやすくまとめておられるサイトとか、オリジナルのデータを公開しているサイトとかを見つけることがあります。貴重な情報をインターネット上に公開している方々には頭が下がります。日々勉強をさせていただいています。ありがとうございます。

そして後日、ブログ記事を書こうとした時にたまたま似たようなテーマを取り上げることがあるんですよね。

最初は頑張って先日見て勉強になったあの記事よりも、いい記事書こう!と思うんですけども、やっぱりそう上手く書けるもんでもない。ちょっと参考にもう一度見てみようなんて思って見てしまうと、あれよあれよと似てきてしまう…似せたいわけじゃないんですよね。自分の言葉で書きたいわけなんですけど、まだ自分のアウトプットになってない感じがでてしまいます。悩ましい。しっかり自分の中で熟成させてオリジナルのプラスを果たしてからアウトプットしなければ、精進するしかありません。

そういう時に以下のツイートを拝見しました。

私はブログの記事でしかも、たいてい悩むのはTips(ヒント)系だったり、ツールの解説だったりするので「インスパイアされて書きました」って感じでもないのですが、なんとなく色々と考えて腑に落ちたところがあったので今回そのことを書いてみようと思いました。参考にしてくれる方が1人でもいると嬉しいですが、自分にとってもよいアウトプットになればいいなと思います。

インスパイア(inspire)されたもの

自分の中で価値観に衝撃を受けたような作品との出会いは、きっと「インスパイア」の原体験です。そういう体験を積み重ねながら自分のアウトプットする形が変わっていく。茶道の千利休が、修行の段階を示すために使ったと言われている「守」「破」「離」という言葉がありますがインスパイアはその一つ上をいく刺激というか、人生変わるくらいの感覚を言うのではないかと思います。自分の行動に影響を及ぼすくらいとてつもない大きな刺激として想像するとインスパイアされたって感じが分かってきます。

RS-0 PLAY

RS-0 PLAY 出典:PUMA


1980年代のテレビゲームからヒントを得たとされるPUMAのスニーカーや、

Pixerアニメの中に散りばめられた名作を想起させるシーンたちも元ネタに尊敬の心をもって自分の作品に落とし込んでいるように感じます。

▼VimeoPixar’s Tribute to Cinema

こちらの動画についての解説はGigazineさんの記事になっていましたので参考にリンクを貼っておきます。

参考:ピクサーがこれまでの名作映画をオマージュしまくっているシーンを集めたムービー「Pixar’s Tribute to Cinema」

これらを見て「パクリだ訴えてやる」という揉め事に発展するような雰囲気は一切ないですよね。まぁ、言われないと分からないというレベルまで独自性が追加されているともいえるかもしれません。日々のコツコツとしたインプットが自分のものになることには時間が掛かったりしますが、インスパイアは雷に打たれたように、速攻自身のアウトプットへ影響するようなイメージを持つことができます。

パロディ(parody)化することで元ネタの原型を使ってより自分の伝えたいことの印象を強める

「パロディ(parody)」は、オリジナル作品を愛のあるユーモアをもって、一部を作り替えたりしながら、少し茶化したような作品を作るときに使われているようです。パロディはそのユーモラスな特性から、社会に対する遠まわしな批評、ものすごく難しい話の解説の中にも活用される傾向があります。

少し理解が難しい。のでパロディの理解を深めたい人は参考リンクもご覧ください。

参考:パロディ – コトバンク

個人的には、インスパイア(影響)されて!とまではいかないけども、特徴をとらえて作り替えることで、自分たちの伝えたいことをより強調しているということかなと思います。パロディされた元ネタの作者はどうなんだろう。とおもって調べてみたところ、笑って許している例と、怒って訴訟に発展している例のどちらも見つけることができました。パロディに対する感じ方は人それぞれだと思いますが、私は一概に悪いものばかりでは無いのかなと思いました。

あくまで第三者の視点になってしまいますが、揉め事に発展したものに感してはパロディではなく、パクリって言われてるってことですね。

パロディといって一番最初に思い浮かんだのがフランク三浦の腕時計

大阪の笑いがスイスに通じず、訴訟に発展していたフランク・ミュラーvsフランク三浦問題は無事(?)勝訴されたようです。パロディとパクリの境界線は国が変わったら大きく違うんだろうなと思わされる事案でした。

参考:世紀のパロディ「フランク三浦」の末路 – 日経ビジネス

万引きなどから派生したパクリという考え方


パクリの語源は諸説あれど、現代において「パクリ」という表現は決して良い意味では使われません。wikipediaを参照すると動詞形の「ぱくる」が語源であるようですね。元イメージは万引きという記載もありましたので、こっそり懐にいれてしまうことを凡そ刺して言っているのだと思います。作品をそのままに流用した場合、同意語としてパクリという言葉が用いられています。

まとめ記事の問題でキュレーションサイトが問題に挙げられた事件がありましたが、引用であることの明記と引用元の記載もない状態でかつ、引用がほとんどのコンテンツを占めていたこと。最後に運営者からの指示も含めてパクることを許容するようなルールで運用されていたことが問題でした。

引用ルールについては以下の記事にもまとめておりますのでよかったらご覧ください。

まとめ

本稿でテーマに挙げた「インスパイア」「パロディ」「パクリ」。日常的にはちょっと乱暴に、一緒くたに使われることもある単語です。しかし、言葉の意味まで掘り下げたりその経緯を考えたりするとそれぞれ異なる意味を持っています。今回取り上げていない「コピー」という言葉もあるのですが、「コピー」は作業的な意味合いでクリエイティブに対して行われるものではなく、まったく同じものを作業的に複製するという意味合いが強いようでした。(コピーコンテンツという言葉もありますが、それは完全にコピペ、あるいはそれに近い状態であるということです。)

全てのコンテンツが何らかに「インスパイア」されている。という話も一理ある考え方ですが、当記事では世間でよく言われる価値観に基づいて記事にしました。ここまで書きましたが、パクり、コピーは何かの間違いも含めて一切しないようにしなくては…等と怯えながら過ごさなくてはいけないということではありません。

「完全にパクること」というのは、とても良い学びに繋がります。WEBデザイナーであれば気にいったウェブサイトを1pxもずれることなくコピーするトレーニングを行ったり、文章を勉強する為に、文章を一字一句真似をしたりする勉強方法も意味があると思います。つまり、トレーニング、学びの要素としては模写することも一つの質の高いインプットに成りえるということです。

あなたも是非、好きなクリエイター、プレーヤーのスキルを真似(完全コピー)しながら、自分のものにしていきましょう。繰り返し繰り返しコピーする行為を徹底することで、自分の中に根付くオリジナルな部分が育ってきます。そのようにして、自分オンリーの付加価値がついたとき、それはあなたのオリジナルとして武器にもなるはずです。

また、時と場合によるとは思いますが、無意識のオリジナルが既存作品と似てしまったという場合はオリジナルであることを胸を張って訴えて良いとも思います。商標や特許はとれないかもしれませんが、そんなことはどうでもいいじゃないですか。そこで胸を張れるかどうかがオリジナルだと思うのです。