ChatGPTとは、OpenAIが開発した対話型のテキスト生成AIです。プロンプトと呼ばれる指示文を読ませると、それに基づいて回答を返してくれます。ChatGPTでできることは、翻訳をする、文章の要約をする、会話をする、具体例をあげる、クイズを作成する、ストーリーなどを作成する、アイディアを出す、説明する、などです。

本稿では、ChatGPTを使って各種のクイズや試験用の問題を作成してもらう方法を解説します。

ChatGPTの使い方

ChatGPTを使うには、公式サイトで登録する必要があります。利用料金は無料です。新しい会話を始める時は、公式サイトまたはアプリで「New Chat」をクリックします。そして、「Send a message」の欄にプロンプトを入れ、右のマークをクリックします。
ChatGPTの基本的な使い方については、次の記事をご覧ください。

ChatGPTのプロンプト

プロンプトとは、ChatGPTの入力欄に入れる命令文や質問文などの文章のことを言います。どのようなプロンプトを入れるかによって、ChatGPTの回答は大きく変わってきます。プロンプトの表現が明確であるほど、回答の精度は高くなります。
明確なプロンプトの例として、#(ハッシュタグ)などのマークダウン記法を使った「深津式プロンプト」があります。次のプロンプトはその基本例です。

#命令書:
あなたは、{  }です。
以下の制約条件と入力文をもとに、 最高の結果を出力してください。#制約条件:
・文字数は{  }
・{  }

#入力文:
{  }

#出力文:

#はマークアップ言語で、ChatGPTに対して本文とは異なるハッシュタグ(命令書、制約条件、入力文、出力文)であることを伝えています。また、{  }には具体的な指示内容を明記します。#のあとに入れるハッシュタグは指示内容にふさわしい簡潔な名前をつけます。

4択式のクイズ問題を、選択肢、正解、解説付きで作成してもらいます。#ハッシュタグ入りのプロンプトをいくつか試してみましょう。入力条件の文章は、「パリの歴史」に関するWikipediaの説明文の一部です。

(1) 命令文と入力条件だけのプロンプト

#命令文
以下の#入力条件をもとに、4択式のクイズ問題、正解、解説を別々に作成してください。#入力条件
パリ(セーヌ河岸)の歴史は、紀元前にまで遡る。セーヌ川の周辺は沼地で、なにもない所だった。紀元前3世紀頃から、川の中州(現在のシテ島)に先住民のパリシイ族(ケルト系民族。ローマ側の呼称、「パリ」の語源)が住みついた。この土地は「ルテティア」と呼ばれていた。当時、セーヌ川の右岸は沼だったため、集落はシテ島と左岸に形成されていた。紀元前1世紀、ガリア戦争の結果、ルテティアはローマ帝国に編入され、セーヌ河畔にローマ式の市街が築かれた。いまでも、セーヌ左岸にはローマ時代の遺跡が残されている。5区にある「円形劇場・闘技場の遺跡」や「浴場跡」(現在は国立クリュニー中世美術館)がそうだ。
ローマが衰退すると、左岸の市街地は放棄され、シテ島のみを範囲とする城塞都市になった。このころから、ルテティアに代わり「パリ」と呼ばれるようになる。
3世紀にパリはキリスト教の都市になったが、最初の司教は後に「フランスの守護聖人」と呼ばれるようになったディオニュシウス(サン・ドニ)だった。しかし、ディオニュシウスは多くの人々を改宗させたため異教徒の恨みを買い、現在のモンマルトルの丘で斬首刑に処せられてしまった(モンマルトルとは、「殉教者の山」という意味です)。後の伝記によれば、ディオニュシウスは、首を切り落とされたあと、それを拾い上げ、説教をしながら数キロメートル歩いたといわれている。最後に倒れた場所には、サン・ドニ大聖堂が建てられている。

以下は、ChatGPTの回答です:

もちろんです。それぞれの問題について、問題文、正解、解説を作成いたします。

問題1:
パリの歴史で、紀元前3世紀頃から川の中州に先住民のパリシイ族が住みついた土地はどこですか?

選択肢:

  1. シテ島
  2. モンマルトル
  3. セーヌ左岸
  4. ルーヴル

正解:
1. シテ島

解説: パリの歴史で、紀元前3世紀頃から川の中州に先住民のパリシイ族が住みついた土地は「シテ島」です。

問題2:
パリがローマ帝国に編入され、セーヌ河畔にローマ式の市街が築かれたのはいつですか?

選択肢:

  1. 紀元前1世紀
  2. 紀元前3世紀
  3. 1世紀
  4. 3世紀

正解:
1. 紀元前1世紀

解説: パリがローマ帝国に編入され、セーヌ河畔にローマ式の市街が築かれたのは紀元前1世紀です。

問題3:
パリがキリスト教の都市になった際、最初の司教として知られるのは誰でしょう?

選択肢:

  1. ディオニュシウス(サン・ドニ)
  2. サンタンヌス
  3. シュヴェドン
  4. テオドシウス

正解:
1. ディオニュシウス(サン・ドニ)

解説: パリがキリスト教の都市になった際、最初の司教として知られるのはディオニュシウス(サン・ドニ)です。

問題4:
パリが城塞都市となり、左岸の市街地が放棄されたのはいつですか?

選択肢:

  1. 3世紀
  2. 5世紀
  3. 7世紀
  4. 9世紀

正解:
2. 5世紀

解説: パリが城塞都市となり、左岸の市街地が放棄されたのは5世紀です。

問題5:
現在のモンマルトルの丘で斬首刑に処せられた人物は誰でしょう?

選択肢:

  1. ディオニュシウス(サン・ドニ)
  2. ルーヴル
  3. ラファイエット
  4. モリエール

正解:
1. ディオニュシウス(サン・ドニ)

解説: 現在のモンマルトルの丘で斬首刑に処せられたのはディオニュシウス(サン・ドニ)です。

(2) 制約条件を追加したプロンプト

#命令文
以下の#入力条件と#制約条件をもとに、4択式のクイズを作成してください。#入力条件
パリ(セーヌ河岸)の歴史は、紀元前にまで遡る。セーヌ川の周辺は沼地で、なにもない所だった。紀元前3世紀頃から、川の中州(現在のシテ島)に先住民のパリシイ族(ケルト系民族。ローマ側の呼称、「パリ」の語源)が住みついた。この土地は「ルテティア」と呼ばれていた。当時、セーヌ川の右岸は沼だったため、集落はシテ島と左岸に形成されていた。紀元前1世紀、ガリア戦争の結果、ルテティアはローマ帝国に編入され、セーヌ河畔にローマ式の市街が築かれた。いまでも、セーヌ左岸にはローマ時代の遺跡が残されている。5区にある「円形劇場・闘技場の遺跡」や「浴場跡」(現在は国立クリュニー中世美術館)がそうだ。
ローマが衰退すると、左岸の市街地は放棄され、シテ島のみを範囲とする城塞都市になった。このころから、ルテティアに代わり「パリ」と呼ばれるようになる。
3世紀にパリはキリスト教の都市になったが、最初の司教は後に「フランスの守護聖人」と呼ばれるようになったディオニュシウス(サン・ドニ)だった。しかし、ディオニュシウスは多くの人々を改宗させたため異教徒の恨みを買い、現在のモンマルトルの丘で斬首刑に処せられてしまった(モンマルトルとは、「殉教者の山」という意味です)。後の伝記によれば、ディオニュシウスは、首を切り落とされたあと、それを拾い上げ、説教をしながら数キロメートル歩いたといわれている。最後に倒れた場所には、サン・ドニ大聖堂が建てられている。

#制約条件
・問題数: 5問
・問題1から問題5までのすべてについて、問題を作成する
・回答選択肢は4択式とする
・選択肢には数字の番号を振る
・正解の番号は選択肢の番号を用いる
・問題、正解、解説を別々に作成する

以下はChatGPTの回答です。

了解しました。制約条件に従って、5問のクイズを作成し、問題、正解、解説をそれぞれ別々に出力いたします。

問題1:
パリ(セーヌ河岸)の歴史で、最初に住んでいた先住民族は何と呼ばれていましたか?

選択肢:

  1. ケルト族
  2. パリシイ族
  3. ローマ族
  4. ガリア族

正解
1.パリシイ族

解説
パリの歴史は、紀元前3世紀頃から先住民のパリシイ族がセーヌ川の中州に住みついたことから始まりました。

問題2:
紀元前1世紀、ルテティアはどの帝国に編入されましたか?

選択肢:

  1. ギリシャ帝国
  2. ローマ帝国
  3. エジプト帝国
  4. インカ帝国

正解
1.ローマ帝国

解説
紀元前1世紀、ガリア戦争の結果、ルテティアはローマ帝国に編入され、ローマ式の市街が築かれました。

問題3:
パリの城塞都市となったのは、どの時期ですか?

選択肢:

  1. 紀元前1世紀
  2. 紀元後1世紀
  3. 3世紀
  4. 5世紀

正解
1.5世紀

解説
ローマが衰退すると、左岸の市街地は放棄され、シテ島のみを範囲とする城塞都市になりました。

問題4:
パリの初代の司教となった人物は誰ですか?

選択肢:

  1. サン・ドニ
  2. モンマルトル
  3. ルテティア
  4. ディオニュシウス

正解
1.ディオニュシウス

解説
3世紀にパリはキリスト教の都市となり、最初の司教はディオニュシウス(サン・ドニ)でした。

問題5:
ディオニュシウス(サン・ドニ)が斬首刑に処せられた場所はどこですか?

選択肢:

  1. サン・ドニ大聖堂
  2. モンマルトルの丘
  3. ルーヴル美術館
  4. エッフェル塔

正解
1.モンマルトルの丘

解説
ディオニュシウスはモンマルトルの丘で斬首刑に処せられ、サン・ドニ大聖堂が建てられた場所となります。

(3) 出力形式を追加したプロンプト

(2) のプロンプトだと、「正解」の選択肢番号がすべて1.になってしまいました。#制約条件の中で「正解の番号は選択肢の番号を用いる」と指示したのですが、それがChatGPTにきちんと伝わっていなかったようです。そこで、この誤りを修正するために、以下では、新たに#出力形式というハッシュタグを追加し、その中で、正解:{正しい選択肢の番号}.{正解}という指示文を1行追加しました。

#命令文
以下の#入力条件と#制約条件をもとに、4択式のクイズを作成してください。出力は#出力形式に従って行ってください。#入力条件
パリ(セーヌ河岸)の歴史は、紀元前にまで遡る。セーヌ川の周辺は沼地で、なにもない所だった。紀元前3世紀頃から、川の中州(現在のシテ島)に先住民のパリシイ族(ケルト系民族。ローマ側の呼称、「パリ」の語源)が住みついた。この土地は「ルテティア」と呼ばれていた。当時、セーヌ川の右岸は沼だったため、集落はシテ島と左岸に形成されていた。紀元前1世紀、ガリア戦争の結果、ルテティアはローマ帝国に編入され、セーヌ河畔にローマ式の市街が築かれた。いまでも、セーヌ左岸にはローマ時代の遺跡が残されている。5区にある「円形劇場・闘技場の遺跡」や「浴場跡」(現在は国立クリュニー中世美術館)がそうだ。
ローマが衰退すると、左岸の市街地は放棄され、シテ島のみを範囲とする城塞都市になった。このころから、ルテティアに代わり「パリ」と呼ばれるようになる。
3世紀にパリはキリスト教の都市になったが、最初の司教は後に「フランスの守護聖人」と呼ばれるようになったディオニュシウス(サン・ドニ)だった。しかし、ディオニュシウスは多くの人々を改宗させたため異教徒の恨みを買い、現在のモンマルトルの丘で斬首刑に処せられてしまった(モンマルトルとは、「殉教者の山」という意味です)。後の伝記によれば、ディオニュシウスは、首を切り落とされたあと、それを拾い上げ、説教をしながら数キロメートル歩いたといわれている。最後に倒れた場所には、サン・ドニ大聖堂が建てられている。

#制約条件
・問題数: 5問
・問題1から問題5までのすべてについて、問題を作成する
・回答選択肢は4択式とする
・選択肢には数字の番号を振る
・解説は100字程度で出力する

#出力形式
・問題1:
・問題:{改行 問題}
選択肢:
正解:{正しい選択肢の番号}.{正解}
解説:
・問題2:
問題:
選択肢:
正解:{正しい選択肢の番号}.{正解}
解説:
…以下同様

以下はChatGPTの回答です。

了解しました。制約条件に従って、5問のクイズを作成し、指定された出力形式で出力いたします。
問題1:
パリ(セーヌ河岸)の歴史において、紀元前1世紀に何が起きた出来事ですか?

選択肢:

  1. ローマ帝国による征服
  2. ガリア戦争の終結
  3. ローマ式市街の建設
  4. パリシイ族の移住

正解:
1. ローマ帝国による征服

解説: 紀元前1世紀にガリア戦争の結果、パリはローマ帝国に編入され、ローマ式の市街が築かれました。

問題2:
パリが「パリ」と呼ばれるようになったのは、どの時代からですか?

選択肢:

  1. 紀元前3世紀
  2. 紀元前1世紀
  3. 3世紀
  4. 5世紀

正解:
4. 5世紀

解説: 5世紀になって、ルテティアから「パリ」へと呼び方が変わりました。

問題3:
パリに最初の司教として知られるのは誰ですか?

選択肢:

  1. ディオニュシウス(サン・ドニ)
  2. ルテティアス
  3. ユリウス・カエサル
  4. クローヴィス1世

正解:
1. ディオニュシウス(サン・ドニ)

解説: パリの最初の司教としてディオニュシウス(サン・ドニ)が知られています。

問題4:
パリがキリスト教の都市になったのはいつですか?

選択肢:

  1. 紀元前1世紀
  2. 3世紀
  3. 5世紀
  4. 10世紀

正解:
2. 3世紀

解説: パリがキリスト教の都市になったのは3世紀です。

問題5:
パリの左岸の市街地が放棄され、城塞都市になったのは、どの時代ですか?

選択肢:

  1. 紀元前1世紀
  2. 1世紀
  3. 5世紀
  4. 10世紀

正解: 3. 5世紀

解説: ローマの衰退後、パリの左岸の市街地は放棄され、城塞都市になりました。

(4) 「問題+選択肢」「正解+解説」に分けて出力させるプロンプト

クイズを自習用に作成したり、教師がクイズ問題を作成する場合、問題+選択肢の部分と正解+解説の部分を別々に出力させた方が便利な場合が少なくないと思います。そのような場合には、次のような出力形式を指定したプロンプトにすると、求める形式の結果が得られます。

#命令文
以下の#入力条件と#制約条件をもとに、4択式のクイズを作成してください。出力は#出力形式に従って行ってください。#入力条件
パリ(セーヌ河岸)の歴史は、紀元前にまで遡る。セーヌ川の周辺は沼地で、なにもない所だった。紀元前3世紀頃から、川の中州(現在のシテ島)に先住民のパリシイ族(ケルト系民族。ローマ側の呼称、「パリ」の語源)が住みついた。この土地は「ルテティア」と呼ばれていた。当時、セーヌ川の右岸は沼だったため、集落はシテ島と左岸に形成されていた。紀元前1世紀、ガリア戦争の結果、ルテティアはローマ帝国に編入され、セーヌ河畔にローマ式の市街が築かれた。いまでも、セーヌ左岸にはローマ時代の遺跡が残されている。5区にある「円形劇場・闘技場の遺跡」や「浴場跡」(現在は国立クリュニー中世美術館)がそうだ。
ローマが衰退すると、左岸の市街地は放棄され、シテ島のみを範囲とする城塞都市になった。このころから、ルテティアに代わり「パリ」と呼ばれるようになる。
3世紀にパリはキリスト教の都市になったが、最初の司教は後に「フランスの守護聖人」と呼ばれるようになったディオニュシウス(サン・ドニ)だった。しかし、ディオニュシウスは多くの人々を改宗させたため異教徒の恨みを買い、現在のモンマルトルの丘で斬首刑に処せられてしまった(モンマルトルとは、「殉教者の山」という意味です)。後の伝記によれば、ディオニュシウスは、首を切り落とされたあと、それを拾い上げ、説教をしながら数キロメートル歩いたといわれている。最後に倒れた場所には、サン・ドニ大聖堂が建てられている。

#制約条件
・問題数: 5問
・問題1から問題5までのすべてについて、問題を作成する
・回答選択肢は4択式とする
・選択肢には数字の番号を振る
・解説は100字程度で出力する

#出力形式
・問題1:
問題:{改行 問題}
選択肢:
・問題2:
問題:
選択肢:
…以下同様
・問題1:
正解:{正しい選択肢の番号}.{正解}
解説:
・問題2:
正解:{正しい選択肢の番号}.{正解}
解説:
…以下同様

以下はChatGPTの回答です。

クイズ作成

問題1:
パリ(セーヌ河岸)の歴史で、紀元前3世紀頃から川の中州(現在のシテ島)に住みついた先住民族は何と呼ばれていましたか?

選択肢:

  1. ガリア人
  2. ギリシャ人
  3. パリシイ族
  4. ケルト人

問題2:
パリがローマ帝国に編入され、セーヌ河畔にローマ式の市街が築かれた時期はいつでしょう?

選択肢:

  1. 紀元前1世紀
  2. 紀元前3世紀
  3. 3世紀
  4. 2世紀

問題3:
パリが放棄され、シテ島のみを範囲とする城塞都市になったのは、どの時期でしょう?

選択肢:

  1. 2世紀
  2. 3世紀
  3. 4世紀
  4. 5世紀

問題4:
3世紀にパリはキリスト教の都市となりました。最初の司教となった人物は誰でしょう?

選択肢:

  1. ディオニュシウス(サン・ドニ)
  2. ガリバヌス
  3. オリンピオドルス
  4. モルモウトゥス

問題5:
ディオニュシウス(サン・ドニ)が斬首刑に処された後、建てられた教会は何でしょう?

選択肢:

  1. サン・ドニ大聖堂
  2. サクレクール寺院
  3. ノートルダム大聖堂
  4. サン・シャペル

解答と解説:

  1. 正解: 3. パリシイ族
    解説: 紀元前3世紀頃から、川の中州(現在のシテ島)に住みついた先住民族は「パリシイ族」と呼ばれていました。
  2. 正解: 1. 紀元前1世紀
    解説: パリがローマ帝国に編入され、セーヌ河畔にローマ式の市街が築かれたのは紀元前1世紀です。
  3. 正解: 4. 5世紀
    解説: パリが放棄され、シテ島のみを範囲とする城塞都市になったのは5世紀です。
  4. 正解: 1. ディオニュシウス(サン・ドニ)
    解説: 3世紀にパリがキリスト教の都市となり、最初の司教となったのはディオニュシウス(サン・ドニ)です。
  5. 正解: 1. サン・ドニ大聖堂
    解説: ディオニュシウス(サン・ドニ)が斬首刑に処された後、サン・ドニ大聖堂が建てられました。

以上、4種類のプロンプトをそれぞれChatGPTに与えて、クイズ問題を作成してもらいました。回答結果にそれほどの違いはみられませんが、求める形に近いクイズを作成するには、 (3)(4) のように制約条件や出力形式を増やして、具体的な指示を与えるのが確実かもしれません。ご自分でハッシュタグや語句などを工夫してみてください。

本稿では、選択肢の数を4個と指定しましたが、もちろん選択肢の数は任意に変えることができます。また、回答方法も択一式ではなく、多項選択式や自由回答式を指定することもできます。

おわりに

テキストや資料などをもとにクイズを作成したり、教科書などの特定部分を範囲として試験問題を作成するのは、根気のいる作業です。ChatGPTに適切なプロンプトを入力することによって、これらの作業の労力を大幅に軽減するとともに、作業をスピードアップすることが期待できます。

ChatGPTは、深い理解を求める問題を作成したり、詳しい解説文を生成させるには、やや力不足の面があることは否めませんが、これは手作業で補うことによって、質の高いクイズ問題を大量に作成することが可能です。

一般の試験、検定試験、資格試験、クイズコンテンツ制作などの準備に、今後ChatGPTの活用は不可欠になることでしょう。